何故だかわからないが興味があること-宗教①-

私には何故だかわからないが異常に興味ある分野が幾つかある。

何故関心があるのか知りたいと思いつつ未だに理由はわからないのだが。。人の興味というものがどのように形成されるのか、それは果たして環境に依存するものななか、これもまた興味深い分野である。

 

 

それはさておき、その興味がることの

1つに「宗教」がある。

ちなみにI believe science な感じで、私自身は無宗教である(私含め無宗教と言う日本人は多いが、実際は神道と仏教に日本人は多いに影響されている、がしかし私のように無宗教と多くの人は言っているのだが。この件に関しても後々書いていきたい)

 

 

宗教に関心があるといっても、宗教の種類やそれぞれの宗教の教え等に深い関心があるわけではない。

私が興味があるのは「何故人々は宗教を信じるのか」ということである。

何故だか知らないが私はこの件について中学の頃から異常に関心を持っていた。

今と違って怖いもの知らず(今も怖いもの知らずとよく言われるが)というか宗教がセンシティブな話題であることを十分理解していなかった中学生時代から、私はこの件についてペラペラと友人に一方的に意見を述べたりしていた。彼女たちの多く、というか全員こんな話題にまるで興味がなかったであろう。おかげで彼女たちから私はかなりの変わり者だと思われていたはずだ。その証拠に当時の友人たちに会うとこの話をだされ変人扱いされる。

 

 

人は何故宗教を信じ神を信じ、また時として傾倒するあまり己の身を滅ぼしたり他者を傷つけたりするのだろうか。

よくある回答だが簡単に言えば、それは救いを求め、幸せになろうと望むからであると私は考える。

 

人は常に強くなどいられない。しかし何か信じるものがあると、信じられる人がいると、それは気持ちの振れ幅がある人間の心を強く保つ手助けになる。

 

また宗教に限らず、人間は信じたいものを信じる傾向にある。その信じるものをは正しいか正しくないかが基準になっているのではない。それを信じることによって自分の中の認知的不協和を解消できたり、あるいは上記でも述べたように幸せを感じることができたりするものを信じているのではないかと思う。まぁつまりその時々の自分に都合のいいことを信じているのではないかと思う。

また他にも日本人にフォーカスした特徴としては、日本人はポジティブな意見よりネガティブな意見を信じる傾向があるらしい。これは何かで読んだのだが確かにと思った。口コミサイト等でも自分自身もポジティブな意見よりネガティブな意見を信じているような気がするし。

 

話はそれたが、人間が宗教を信じる理由は以上に集約されると思う。もちろん生まれた環境が宗教に深く関わっていたとかそうした要素も大いにあるが、それでも信じて疑わない場合、上と結局は同じ理由なんじゃないかと思う。

 

こうしたことを踏まえ、それでは宗教とは悪なのか、ということもよく考える。これについては次の記事で考えを述べていく。